編集長コラム 
vol.76:決断を支えてくれるもの 2005年06月7日(火)

  「好きな仕事で生きていく」と決断をして初志貫徹することは難しい。その実現のためには、その好きなことへの想いや、社会に出るまでに自分の中に培われている「働くこと」に関する価値観などの多くの前提要素があります。そして、周囲の協力という条件が極めて重要だということを、家具デザイナーの松本和美さんの取材で痛感しました。
http://www.kyoto30.com/30matsumoto_k_f.html

 松本さんは、写生やものづくりが大好きで得意な女の子でした。父親が建築事務所を経営していて、その自分がデザインした家について嬉しそうに話す姿を見て建築の仕事に興味を持ちます。一方で、結婚前までは調理師として働き、父親の会社の経理を手伝う母親が「仕事を続ければよかった」と後悔するのを見て、結婚に夢は持てない。「私は好きな仕事をずっとして行こう」と思ったそうです。

 建築デザインを学ぶために一度は別の大学に入学しながらも、20歳で京都の大学に再入学して、家具の分野に強い興味を持ちます。そんな中で父親の会社が倒産。奨学金や親戚の援助などでなんとか卒業はできて、母親と姉との3人暮らしの生活を支えるためにも「やりたいこと」を我慢して、家具デザインとは別の業務の会社に就職します。しかし、家具への想いはなかなか断ち切れない。岐阜の高山に、実際の商品を作りながら家具職人を育てる授業料不要の学校を見つけて、母親を姉や親戚に託して26歳で京都を離れます。

 朝8時からの木工作業漬けの毎日。仕事としての家具作りの厳しさ、共同作業での責任の重さを痛感して、たまの休みも作業やアルバイトに潰れてしまう。そして、5ヶ月目に入った頃には腱鞘炎を患って手術を重ね、膝も痛めて救急車で運ばれたそうです。次第に生活費も底をつき始めて不安もよぎります。姉に「京都に帰ろうかな」と電話で不安を漏らしたときに、「何のために周りが協力しているの!」と叱られて、我に帰ったそうです。「私は多くの人に支えられているんだ…」と、痛みを堪えてその後の実習に励まれたそうです。

 28歳で帰京後は、母校の大学で講師を務めながら、クリエーターとしての制作活動をして「使い手の気持ち」を考えた作品づくりに精を出します。手の痛みが取れたわけでもなく、贅沢をできる安定的な収入が確保できたわけでもなく、時に普通の仕事に尽きたい思いも湧くそうですが、周りの支えでこだわりを捨てずに進んでこられたこの道で、悔いだけは残したくない、と踏ん張っていらっしゃいます。

 「好きなこと」や「悔いのない生き方」へのこだわりは、自分でも気づかない周囲の気遣いや支えが生まれいることを決して忘れてはいけません。しかし、それに気づいたときに「もう迷惑はかけたくない」と思って方向修正するのか、「だからこそ諦めない」とチカラに変えるのか、それは個々人の「何を最も大切にして生きていきたいのか」という価値観によって決めていくものなのでしょう。

 100人に100通りの「働き方」。バブル崩壊後に社会に出た今の30歳は、自分で自分の「働き方」を決める「新しい時代のトップランナー」です。そしてどんな「働き方」を決断しようとも、最終的に決して後悔をすることのない唯一の観点があります。
 「あなたが頑張って働くことは、自分以外の誰のためですか?」
 家族のため、職場の仲間のため、自分を信頼してくれる人のため、お客様のため、地域のため、社会のため…。迷い少なく働いている30歳は、みんなこの観点が明確です。
 このコラムでは、取材などで出会った方々から学んだこと、気づいたことを、そんな観点から説明していきたいと思います。

★編集長:宮崎 健(ミヤザキ タケシ)

 NPOワーカーズ・オープンコミュニティ・エイド(WOOCA)代表
1962年生まれ。株式会社リクルートに16年間勤務。数百社の採用・研修・CI・広報・イベント企画と、メディアの企画立案・組織オペレーション、働く人のモチベーション研究などに携わる。2002年6月独立し、現在に至る。
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編集長へのメールはmiyazaki@kyoto30.comまで。
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