「あなたは、あなたであり、あなたでしかない」。
そんなメッセージを送りたい。28歳、見守ってくれる
人々に支えられて、メジャーへの道を決意した。
小学生のころからゲームプログラミングと音楽にはまり込んだ。時間があればノートとパソコンに向かっていた。ゲーム音楽の世界で腕をふるえる夢が実現しかけた、まさにそのときに突然襲われたラムゼーハント症候群。顔左半分の筋肉が全てゆるみ、聴覚過敏まで併発した。手術と懸命のリハビリで病状が回復した後も、家にひきこもって依頼されたゲーム音楽を作り続けた。「本当に自分がやりたいことってなんだったのか?」そんな想いを持って北海道に旅立った。

伊藤忠之さん 
29歳 京都市出身・在住
[ミュージシャン]
 「ようこそボロフェスタへ!」。インディーズバンド「ロボピッチャー」のリードボーカル加藤隆生さんが叫ぶ。ポリスが来日公演した伝説の京大西部講堂には数百人が詰めかけている。病気をしてから人前に立つことを避けてきた伊藤さんがMCをする。「えーっと、いつも急にMCを振られるんですが…」。うつむき加減なそのトークが会場を和ませていく。

「自分らしく生きるための剣であり、盾」それが音楽。17歳のときの夢。

 6歳でゲームにはまり、小学生のころからパソコンに取りつかれた。人と話をすると微妙なズレを感じてしまい、仲間を探そうとはしなかった。家にこもって暇さえあればノートにゲームプログラムや「未来ギャグマンガ」を書き込む。ノートは20冊までになった。
 洋楽を愛する父の影響で音楽を聴いた。それをコンピューターでアレンジする。ゲームプログラミングよりも音楽のほうが楽しい。「オタク」という一言で自分のことを見る周囲との違和感の中、音楽は自分を表現する「剣」であり、自分を守る「盾」になった。17歳のとき、「ゲームに音楽をつける仕事をするんだ」と両親に夢を語った。
 大学に入っても、バンド仲間から「お前のはロックじゃない」「テクノってそんなものじゃない」と言われる。「なぜジャンルにこだわるのだろう?」。またひとりになって数百曲もの音を作り続けた。
 身近な人には理解してもらえなかったが、全国発売のCDに曲を提供するとコンピューターソフトランキングの5位に入った。ファンやミュージシャンの人たちとのネットワークができてくる。雑誌にも紹介された。
 就職活動は、サラリーマンミュージシャンの立場が最も良いと思い、大手ゲームソフト会社3社に絞った。人の渦に巻き込まれると自分を表現する「音」が作れない。スキルや実績には自信もある。小さなときから夢みた世界まであと一歩。緊張が高まった。


あこがれのゲーム音楽業界へあと一歩。突然襲ってきたラムゼーハント症候群。

 各社の一次面接が終わったある朝、うがいをすると口から水が流れ落ちた。顔左半分の筋肉が言うことをきかない。一部の神経細胞が膨張してしまう「ラムゼーハント症候群」。ストレスを原因とする難病。翌日には顔が硬直し、音がすべて半音ずれて聞こえてしまう。耳栓をしなければ外出できないくらいの聴覚過敏。
 「手術をしても完全回復は難しい。逆に50%の確率で左耳は難聴になります」。医師は厳しい現実を伝えた。まばたきもできず、テープで左目をふさいで寝る。見舞いに来た友人たちは、伊藤さんの顔をみるやいなや笑顔を作ることさえできなくなった。顔は完全に引きつったままだった。
 就職を断念し手術に踏み切る。「左耳は聞こえなくても音楽はできる。でも笑顔も怒った顔もできなければ自分の気持ちを相手に伝えられない」。同じ症状の仲間と励ましあいながらリハビリに打ち込んだ。
 両親は、「今、与えられた仕事は病気を治すこと」と温かく言ってくれる。CDを通じてできた全国のファンや友人たちから、「ずっと待ち続けています!」「頑張れ!」と手紙が舞い込んだ。
 リハビリ中も、人前に出ると「不思議なもの」を見るように顔をのぞきこまれた。家にひきこもって、まったく興味のなかったJ-POPを始めとするさまざまな音楽を聴きあさった。これまで見えてこなかった新しい音楽が少し見えてきた。


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