企業人になることに疑問を感じ、資格取得の勉強と
アルバイトの4年間。27歳で就職し、3年間の本部勤務。
仕事の手応えを直接感じとりたい思いがつのる。
小学校の卒業文集に将来の夢は「サラリーマン」と書いた。中学時代に先生から「進学だけではなく、人間的な幅を広げることの大切さ」を教わる。企業で働くことの意味を見出せず、大学卒業後2年間のフリーター生活を経て、バイト先の成基学園から社員講師として誘われた。1年後、27歳で初めて正社員として、現場から離れた本部で働き始めた。

金地 和也さん 32歳
[株式会社成基学園(中京区) 知求館Galaxy 教務主任]

「何が楽しいのだろう?」父の働いている姿を見て、子ども心ながらそう思った。

 大手自動車メーカーの資材購買の部門で働いていた父。時折「この車はヒットしたんや!」とうれしそうに話すが、毎日のように上司のことで愚痴を言う。それでも翌朝になれば当り前のように会社に出かけていく。「何が楽しいのだろう?」。子ども心ながらそう思った。
 小学生時代、学校の先生は勉強以外のことは何を聞いても答えてはくれない。情熱も感じられず、好きにはなれなかった。
 小4のときに親から「私立中学校を受験してみてはどうか」と言われ、進学塾へ通い出す。塾の先生は自分の生き方にポリシーをもち、人間的な魅力にあふれていた。
 塾の友人たちの父親もほとんどが企業人。小学校の卒業文集に将来の夢は「サラリーマン」と書いていた。
 中高一貫教育を行っている私立の進学校に合格。先生から「進学だけではなく、人間的な幅を広げることも大切だ」と教わり、「中高6年間で何でも言い合える友達を3人は作ってみろ」と言われた。
 高2の夏、それまで得意としていた数学で、公式が理解できずに初めてつまずいた。成績は学年の最下位近くまで落ち込んだ。
 三者面談で、有名私大以下には行きたくないと言うと、担任は言った。「今の成績で行ける大学へ行け!4浪、5浪をして結局大学にも行けずに消えてしまうなよ!」。
 「やっかい払いかよ」。そう思った。自分に火がついた。「何を言うてんねん! 今に見とけよ!」。だが今ここであわてても合格は無理。浪人覚悟で、数学を中心に高1の教科書から勉強をやり直した。
 卒業後、予備校に1年間通って、念願の有名私立大学に合格した。


バイト先から正社員への誘い。自分が本当にできるのか、あせらず1年間考え続けた。

 2回生のときにバブル経済が崩壊。先輩たちが就職活動に悪戦苦闘を強いられている姿を見て、「一生の保証があるわけでもないのに、そこまで頑張って会社に入ってどうすんねん」と思った。就職活動のためにあくせくすることに疑問を感じる。高校時代の友人たちも「終身雇用や年功序列も崩壊する」「アメリカみたいに日本の企業も二極分化する」と言う。
 4回生になり、これからの時代は手に職がないと生きてはいけない、公認会計士になろうと、60万円近くの授業料を自分で払って専門学校に入学する。「何してるんや! まともに就職しろ!」と言う父。「一寸先はヤミ。今はジタバタしてもしょうがない。組織の歯車として働きたくはない」。自宅に送られて来た大量の求人情報誌には目もくれず、就職部にも一度も足を運ばなかった。
 大学を卒業して2年後、会計士の勉強のかたわらバイトをしていた成基学園から、非常勤講師の採用試験を受けてみないかと声をかけられる。子どもたちの人生にかかわる覚悟もない自分が教えることなんて…。約1カ月間悩んだが、「講師の経験は人生の保険になる」と、試験を受けて採用された。成基学園は、創立以来、「次代を創造することができる有為な国際人の育成」を実践する、関西屈指の合格実績を誇る進学塾である。
 仕事にもようやく慣れを感じ始めていた2年目のある日、社員としての就職を上司から勧められる。しかし、「会計士の道をあきらめるのか?」「講師以外の業務をこなせるのか?」。即答はできなかった。
 資格取得にかける自分の真剣さにも疑問を感じ始めていた。自分よりも成績が良かった高校時代の友人でさえ合格していない現実。他の友人たちも組織の中で懸命に働いていた。本当にこのままでいいのか…。
 27歳にもなって、しっかりとした人生設計すらしていない自分自身にガク然とした。それでも1年間あせらずに考えて、「言ってもらっているうちが花だろう。せっかくのチャンスなんだから」と、社員として頑張る決意を固めた。


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