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結婚したら家庭に入る。
だから「精一杯働く」。頑張りきれた20代。 肩の力を抜くことができた30歳。 |
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京都で生まれ育ち、自分を試すために大阪の会社に営業職希望で入社。29歳にして管理職一歩手前の上級主任までに。朝の8時から夜の10時くらいまでパワフルに仕事に没頭した。しかし、30歳を前にして就いた新しい仕事で、自分を見失ってしまった。「私は仕事から逃げるの? そうじゃない、8年間を精一杯やり切ったんだ」。 河合暁美さん 30歳 京都市在住 [株式会社クイック(大阪市北区)主任] |
| 京都の自宅を7時前に出て、オフィスでフルーツジュースとパンを片手に新聞に目を通す。次々に出社する後輩たちから朝の挨拶を受けて、「おはよう!」と返しては、ネットでの情報収集に没頭。朝礼が終わると、後輩からの相談にアドバイスをしたり、お客様からの電話に応対して、10時前に営業カバンを肩に顧客訪問へ出発。「行って来まーす」。 高校時代の部活で覚えた「逃げたら負け」の精神。「やり切る」ことの爽快感。 求人広告の営業はハードである。毎週毎週、数十本の求人広告を受注し、納品してきた。関西で100社は下らない競合求人広告会社の中から自社を選んでもらわなければならない。 週の前半は、見込み顧客や新規客の開拓、既存の顧客への提案に走り回り、週の後半は、急な発注も含めた広告制作と納品に忙殺される。多くの後輩への指導、顧客からの高度な要求に対する企画書作成、リーダーミーティング、夜の勉強会…。 求人の応募効果が思うようにあがらず、顧客から厳しいお叱りを受けることも少なくはない。京都に帰宅できるのは早くて11時前後。 毎週のそんな目まぐるしいスピードの中、約30人の若い営業部を、「業績」と「リーダーの一人としての自覚」で引っ張ってきた。 実家の一階で居酒屋を経営する両親のもとで育った。毎日、毎晩、仕事や生活、どんなことでも楽しそうに話し合う父と母。 母は街に自然と溶け込み、父は「どうやってお客さんに喜んでもらおう?」といろんなアイデアを考えては、楽しそうに母に相談する。その一方で仕事に強い誇りをもち、たとえお客さんであっても譲れないことはきぜんと主張した。 高校時代はフェンシングに明け暮れる。厳しい練習で先輩も同級生も次々に退部していく。個人競技で「信じるものは自分だけ」と教えられ、「逃げたら負け」という意識が次第に作られていった。「怪我でもしたら練習を休めるのに」と思いながら、禁止されていた試験期間中にまで他校に出むいて練習を積んだ。 「私もいつかは辞める」と思っていた部活を最後は部長として引っ張った。「私はやり切ったんだ」。涙があふれた。 目標「スーパーおっかさん」。コツコツと「実績」を積んで自信を深める。 大学は高校からのエスカレーター入学。高校からの内部進学者は、「温室育ち」で仕事が長続きしない、と思われるのを見返したかった。就職活動では、あえて営業職を選び、3年は歯を食いしばって頑張ってみようと、株式会社クイックに入社した。 株式会社クイックは従業員数およそ200人の人材ビジネスの会社。一昨年、求人広告代理店として初めて株式店頭公開を実現した優良中堅企業である。 入社当時、「目標は『スーパーおっかさん』になること」とレポートした。「河合さんに相談すれば何かヒントがもらえる・前に進める」そんな存在になりたい、という意味。難局は常にみんなの力を集結して乗り切っていこう、という社風は最適だった。 2年目のあるとき、会社の重要な方針の結果を出せなかった。できない自分を指摘されたくなくて、ビクビクしながら出社した。逃げ出したい。会社を辞めたい…。 「できない、できないと、思てるやろ。半年前と今を比べてみたら?けっこう成長してるもんやで」。先輩の女性社員が昼食時に一声かけてくれた。「ホンマや。私も成長している! 逃げんとやっててよかった!」 それ以降、自分のため、仲間のために精一杯頑張れる日々が続く。成績優秀者が参加できる海外研修にも選抜された。 4年目からは、尊敬する上司から後輩の教育指導を任される。自分のようには仕事に集中しきれない後輩を、自分が育ててもらったのと同様にしっかり育成したい。 「スーパーおっかさん」への第一歩。仕事中のコミュニケーションはもちろん、毎晩のように2人で飲みに出かけた。 自分自身も「仕事を楽しみたい」「おもしろみを見つけたい」ともがいている。だから後輩にも仕事を楽しんでもらいたい。そんな思いが20代後半のハードワークを支えた。後輩は少しずつ仕事に自信とヤリガイを見いだしてくれた。 次のページヘ |
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