アクセサリーデザイナーという夢を追い続けた。
27歳で妊娠が発覚。家族を大切にしたくて
沖縄での結婚生活を始めたが、1年3カ月で離婚した。
将来の夢はアクセサリーデザイナー。直接その夢がかなう仕事には就けなかったが、アクセサリーに関連する仕事に懸命に取り組んだ。「本当にこの仕事がしたいのか」と考えて、社員からパート待遇に変えてもらった矢先、妊娠が発覚。「家族を大切にしたい」という本当の気持ちに気づいて沖縄で結婚。ところが、出産後から夫との仲がギクシャクし始めた。

木村 早苗さん 31歳 京都市在住
[同志社生活協同組合(上京区)パート職員]

高校3年で父が他界。家族がそろっていることのありがたさを痛感した。

 幼いころ、1人で黙々とビーズアクセサリーを作って遊ぶことが好きだった。幼稚園のとき、先生にビーズの指輪をプレゼントすると、とても喜んでもらえた。「私に向いているんだ」と感じて、小学校の卒業文集には「将来はアクセサリーを作る人になりたい」と書いた。
 中学1年から塾に通ってまじめに勉強し、3年間好成績を保ち続けた。しかし、将来の夢をかなえるために短大へ進学したくて、高校は学力レベルではなく、金銭面を優先して、近所の公立高校に決めた。
 高校では軟式テニス部でできた仲間との時間が楽しくてしかたがない。平日はクラブ活動を思いっきり満喫して、休日はホテルの清掃やファミリーレストランのアルバイトにも励んだ。一方で、2年生になってからは短大受験のためにデッサンを習い始めた。
 高校3年のとき、父が他界した。子煩悩で優しい人だった。母は家計を助けるためにパート勤めをしながらも家族との時間を大切にしてくれていた。父の生前はほとんど毎日家族4人そろって食卓を囲み、年に2度は旅行もしてきた。自分にとっては「普通」でしかなかった家族の大切さが初めて身にしみた。
 進路については、アクセサリー製作が学べる美術系短大だけを受験した。父の亡き後も生活のために気丈に働いていた母は、高い学費の負担も喜んで承諾してくれた。
 短大へは自宅から片道2時間かけて通学。授業が終わるとファミリーレストランでのアルバイトにいそしむ。同年代のアルバイト仲間とも仲よくなり、接客業も楽しかった。


就職先ではやりたい仕事をすることができなかった。人間関係には恵まれていた。

 アクセサリーデザイナーとして働ける会社が関西では見あたらない。アクセサリーの販売や卸をする会社の就職活動を進めながら、さらに技術を磨くために東京のデザイン専門学校進学の道も考えて資料請求をした。迷っているうちに京都のアクセサリー卸の会社から内定をもらい、入社した。
 配属先である企画室での業務は、ディスプレー器具の管理などデザインからはかけ離れていた。事情を知っていた上司が気持ちを察してくれて、業務とは直接関係のないアクセサリーの展示会に何度も連れて行ってくれた。休日は同僚や先輩とスキーやバーベキューなどを楽しんだ。
 2年後、上司の打診で商品部へ異動する。しかし、商品にさわれてもデザインができるわけではない。「技術を身につけて本当にやりたいことができる仕事を探そう」。習い事の専門誌で見つけたデザイン画の通信教育や宝石について学べるスクールに通った。
 24歳で通販営業部に異動。規格書用に商品の絵を描く仕事を任せてもらえたが、やはり不満は解消されない。「アクセサリーに関係する仕事ができているんだから」。そう自分を納得させて日々の業務に取り組むしかなかった。その一方で、「もしかしたらアクセサリーデザイナーに向いていると思い込んでいただけなのかも…」という思いが少しずつふくらんでいた。友人に誘われて茶道を習ったり、習い事の専門誌をしょっちゅうめくって新たに興味をひく資格がないか探してみた。


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