社長にあこがれた。創業時からの一員として店づくりに
没頭した。いい条件の転職話も断ったが、一号店以来の
接客方針と、会社の多店舗化の間で苦悩する。

家族のように患者さんの面倒をみていた看護師の母。大手カニ料理チェーン店でのアルバイトで調理の楽しさを知り専門学校へ。その後、友人のバイト先で知り合った社長から正社員に誘われ、たった1店舗だった「ももたろう」に就職した。安定したいい条件の転職話も断ったが、会社の組織化のなかでとまどいを感じた。

北村 充さん 29歳 京都市出身・在住
[株式会社ももじろうグループ(下京区) 社長室長]

家族のように患者さんの面倒をみる母。心の通った人づき合いの大切さを知る。

 まるで家族のように患者さんの面倒をみていた看護師の母。患者さんの娘の素行が悪くなると親にかわって叱りつけていた。患者さんがわざわざ自宅まで旅行の土産を届けにきてくれることも珍しくはなかった。空いた時間を見つけては、老人ホームや福祉施設でのボランティア活動にも熱心に出かけるような人だった。
 小学生時代、学校が終わるとすぐに近所の友人と外で夕方遅くまで遊びまわっていた。
 中1の夏休み前、母が病院を移ったことで転校する。「制服はきっちり着ろ」「お昼ごはんはちゃんと自分の席で食べなさい」。転校前はこんなんじゃなかったのに…。もっと自由に過ごしたい。校則の厳しい学校生活に不満がつのった。
 中3のとき友人に誘われバンドを結成。仲間と騒ぎながらの活動を楽しんだ。
 高校時代はバスケットの部活にあけくれる。練習後に「今日はどこに行こ?」と言いながら、仲間とラーメンやお好み焼きを食べに行くのが一番の楽しみだった。
 高3の秋から大手カニ料理チェーン店で初めてのアルバイトをする。友人と持ち場を順々にクリアしていくのを競い合い、「社員にも負けたくない」と勤務時間が過ぎてからも仕事をするようになる。
 3カ月後には、大勢いたバイト仲間のなかで自分と友人だけが、調理場でカニをさばく仕事を任せてもらえるようになっていた。
 高校卒業後、「調理の仕事は自分に向いているのかな」「資格も取れるし、女の子も多い!」という軽い気持ちで、友人が誘ってくれた調理の専門学校に進んだ。


学校の掲示板にあった求人票には目もくれず、「ももたろう」に就職する。

 ある日、友人がバイトをしていた居酒屋「ももたろう」で土岡社長と出会う。まったくの初対面にもかかわらず、70万円を「振込んどいて」とポンと手渡された。「変わった人やなー」と思った。
 お金をもっと稼ぎたい、と「ももたろう」でもバイトを始める。小さな店はお客さんの笑い声が絶えず、社長はお客さんの工場や農作業の手伝いまでして固定客を作っていた。
 毎日、店に着くとすぐに「飲みに行こう!」と社長から誘われる。「資本主義は働いた分だけ儲かるんや」。社長は熱心に話をしてくれた。いつしかバイトがないときでさえも店に通うようになり、どんどん社長の人柄や考え方に魅かれていった。
 就職活動。専門学校の掲示板にはしっかりとした料理店からの求人票がたくさん貼り出されていた。「厳しく技術を教えてくれるところへ行きなさい」。母からはそう言われていたが、「どこも堅苦しそう」と、目もくれなかった。
 「社員にならへんか?」。社長に声をかけられた。店はたったの1店舗。カウンターが10席だけで内装もツギハギだらけ。法人でもなく何の将来の保証もない。それでも「休んでも固定給がもらえるし、こんな楽しい雰囲気のなかで働きたい」と、軽く承諾した。
 「店を休んだら、その間に他の店に客をとられてしまう」。社長に定休日の日曜日も店を開けさせてもらえるように頼み、その後3カ月間は休みなく働いた。お客さん同士が始めたケンカを仲裁できず、自分の店にまた来てほしい一心で、他店からそのお客さんが出てこられるのをアスファルトの上に4時間正座して待ったこともあった。

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