ルマ漬けの7年間。管理職を解任されて知った
組織人のむなしさ。京町家で職住一体の暮らしを知り、
ノウハウもないままギターショップを開業した。
 幼いころからフリーのイラストレーターとして働く母の姿を見て育った。大学時代、プロを目指すバンドを結成するが方向性の違いから熱が冷める。新卒で販売台数と達成率が全ての厳しい世界に飛び込み、先のことは考えず毎日をただひたすら頑張り続ける。管理職を解任されて知った組織人のむなしさ。京町家がそんな失意から救ってくれた。

栗田 寛人
さん 32歳 京都市在住
[中古ギターショップ ライトニン(中京区) オーナー]

大学で出会ったバンド仲間。充実した毎日を過ごすが、方向性の違いで脱退する。

 母はフリーのイラストレーター。その実力は大手広告会社から仕事を発注されるほどで、自分の稼ぎで自宅を建て替えもした。仕事の合間には地域のボランティアやボーイスカウトの手伝いなどにも積極的に参加していた。
 中2のときに両親が離婚し、母の実家がある宮津市に移る。母はこれまでの実力を武器に営業活動をするがことごとく断られ、頭を下げて小さな印刷会社に勤めた。
 そこで新しい人脈を築いて、女手ひとつで生計を立てるために、再びフリーでの仕事を続けていく道を歩み始める。自分ができることで自分のビジネスを切り開いていく、そんな姿を遠目に見ていた。
 大学に入学と同時に軽音楽部に所属し、プロを目指す先輩たちとバンドを結成。バイト代のほとんどを活動費に当て、朝から晩まで没頭した。4回生のころ、プロになるために自分たちの音楽を変えようという考え方に納得できず、肩まで伸ばしていたドレッドの髪を自分で切ってけじめをつけた。
 翌日から就職活動を始め、全国に営業所をもつ家庭用浄水器メーカーの内定を勝ち取った。


拡販営業で全国を渡り歩く。厳しいノルマにも負けず、毎日をひたすら頑張った。

 すぐに「拡販」とよばれる営業職に配属。自社の商品を売ってくれる全国各地の代理店さんに1カ月間常駐する。販売計画や販促企画を練り、結束力を高め目標を達成してもらうために朝礼から参加して、そこの社員さんと同行して営業指導するのが仕事だった。会社へは毎日の結果を報告するだけ。自分のペースで、結果さえ残せばあとは何も問われなかった。
 たった1人で全国を転々としながらのビジネスホテル暮らし。北海道から岡山まで。四国は完全制覇した。「はよ大阪に帰りたい…」。会社から追求される厳しいノルマに、トイレにこもってしまったこともある。指導をしていた代理店の社員さんたちに「お前の会社の商品のせいで、なんで俺らが怒られなあかんねん!」と詰めよられて、殴られたこともあった。
 各地で知り合う新しい代理店の人たちとの出会いだけが楽しみだった。自分から相手の懐に飛び込めば相手も応えてくれる。自宅に招いてくれて家族同様に世話をしてくれたり、家族全員が無人駅で電車が見えなくなるまで手を振ってくれたこともあった。
 関西にいるときはバンドの活動を続けていた。土曜日は練習に明け暮れ、翌日の朝方に帰って夕方まで寝る生活を送っていた。


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