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「有名になりたい」という願望と、
「身近な人の大切さ」の間での葛藤。 京都を舞台に自分にできることを積み上げる。 |
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浪人時代から街遊びをする一方で、芸能界を目指してモデルオーディションに挑戦。みずから「派手好き」と言うほど、目立ちたがり屋。マスコミへの就職活動に夢破れ、目立ちたいという気持ちを押し殺して、仕事でどこまでできるのかに挑戦し自信を勝ち取った。しかしマネジメントに疲れ、「有名になりたい」という気持ちさえよみがえってくる。 松本尚也さん 31歳 京都市出身・在住 [株式会社フェイム(中京区)係長] |
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小学校の卒業文集に「有名になりたい」と書いた。陸上競技で脚光をあびた。 元インターハイ選手で、地域体育振興の役員でもある父親の影響で、小さいときからスポーツに打ち込んだ。足の速さが自慢だったが陸上部の友人に走り負けたのが悔しくて、中学の途中から短距離走に集中した。 顧問の先生の適切な指導と猛烈な練習で、中3のときに400mで京都府で優勝、全国大会にも出場した。しかし父親からは「中学までは素質勝負。努力を認められたければ高校で勝て」と言われた。 高校に入っても、国体出場という目標のために、やりたかったアメフトではなく陸上を続けた。全国の学校からのスカウトを受け、地元京都の高校に進学。1年のときには府では優勝したが、近畿大会で破れる。翌年を目指してさらにハードな練習を課して自分を追い込む。無理がたたって肉離れを起こし選手生命を絶たれた。 「父を乗り越えられなかった」。そんな気持ちが松本さんにのしかかる。打ち込めるものを失って2年間の浪人生活。大学でも音楽や映画、サッカー、スノボ、そして木屋町でのディスコ通いや街遊びなど、「流行もの」に飛びついていった。芸能界を目指して、大手プロダクションのオーディションに東京にまで出向いた。 大手マスコミ以外でただ一つ受験したフェイム。迷いを振り切って仕事に熱中。 就職活動では、大手マスコミだけを受験。東京Keyか大阪Keyのテレビ局、電通・博報堂。コネもなくあえなく全敗。それ以外でただ一社、「京都CF!」を発行するフェイムだけを受験していた。 バーをはじめとする小さな酒場で、「人間」を学んだ。店のオーナーや、いろいろな人生をかかえて店を訪れる人たち。アルコールがその人の本来の人間性をむき出しにし、本音のぶつかりあいがくり広げられる。落ち込んだ気持ちを引きずって店に足を運ぶと、オーナーや常連客が、なぐさめではなく真剣にしかってくれた。学生である自分を、街は「一員」として迎えてくれた。 愛する街のすばらしさを紹介する雑誌。フェイムに入社したことを少し自慢げに報告に行くと、オーナーたちは口々に言った。「だからお前は何か変わるの?」。ここではオーナーも客も、一個人でしかなかった。 仕事に熱は入らなかった。足を棒にして広告掲載をしてくれるお店を開拓する。まだ雑誌の知名度が低く、思うように広告効果があがらない。なけなしのお金をはたいて広告を出したオーナーからは、灰皿を投げつけられ、厳しい言葉をあびせ続けられた。そんな日々が1年以上続く。 「俺はこの街に必要とされていない」。一緒に街遊びをした友人はリスクを背負って自分の店を構えている。「店」にではなく、オーナーという「人」に客がついている。「俺も個人で勝負できる店をやってみたい」。 気持ちを上司に打ち明けた。「別に辞めてもらっても結構やで。でもな、お前、この仕事にただの一度でも本気を出したことがあるんか?」。そう指摘された。広告の反響がないのを、雑誌のせいにしていた。商品で勝負するのではなく、一個人としてやってみよう。腹をくくらせてくれた。「とにかくお客さん第一にやれるところまでやる!」。 毎日数十件の飛び込み営業を重ねる一方、大きな提案をジックリと仕掛けた。新規オープンのフィットネスクラブへは、雑誌への広告掲載と同時に駅でのチラシ配りも買って出て仕事をもぎ取った。事務の女性にも頼み込んで毎朝7時から一週間、3万枚をまき切った。大手通信会社のPRではラーメン特集と組み合わせた企画で口説き落とす。大型の仕事を次々と成功させていく。「あそこまでやってくれる君やから今年も頼むんやで」。リピートしてくれる顧客からそう言われるようになっていた。 次のページヘ |
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