希望の仕事から全くはずれているわけじゃない。
「自分にできること」を積み重ねていくと、
「やっていきたいこと」が見えてきた。
専門学校を卒業して就職した会社では、自分でやりたかった仕事はほとんど見当たらなかった。「やりたいことからはずれているわけではない」と、自分でできる目の前のことを懸命にこなしていく。少数精鋭の中小企業、次第に仕事を任され、いろんな人に喜ばれるうれしさ。同世代の仲間が辞めても、会社が親会社から独立しても、あまり動じなかった。

嵯峨根伸治さん 29歳
[京都イーアイシー株式会社(久世郡)主任]

大好きだったパソコン。しかし「オタク」に見られたくなくて、少し敬遠した。

 小学生のときにパソコンに夢中になった。こづかいで専門雑誌を買って、兄のパソコンの電源を入れると2時間があっという間に過ぎた。両親からは「外で遊べ」と叱られた。
 中学の部活ではワンダーフォーゲル部でふた月に一度のペースで山に登る一方、アクションゲームなどを数日かけて完成させて一人で楽しむ。友人たちの家で夕食近くまでファミコンで遊んでいた。
 高校の頃になると、「オタク」と言われるのが嫌でパソコンをさわる機会を減らしていく。大学受験でもコンピューターにあまり関係のない経済学部を受験して失敗した。
 「ゲームばっかりして勉強もせんのやったら、就職しなさい」。そう言う両親に頼み込んで予備校へ通ったが、勉強に身が入らず翌年の受験も失敗。
 「やっぱりコンピューターが僕には向いている。なぜそれと仕事を結び付けなかったのだろう」。予備校に入ってもパソコンへの情熱が薄れなかったことに気づいた。
 「今度こそまじめにやるからお願いします」。生真面目な父、パートで働く母親に謝り続けて、コンピューター専門学校に進学させてもらった。
 学校ではすべての授業が楽しかった。C言語やCOBOLなどの基礎から、さまざまな種類のプログラム作り、経営工学もおもしろい。
 なにより個性的な友人たちとの交流が楽しい。プログラム好き、ゲーム好き、プロテクト構造の研究…。みんなが自分が夢中になっていることを語り合った。


「会話ベタ」と言われて、反抗心から入った会社では、パソコン仕事は少なかった。

 就職活動では、管理系のシステム設計に絞って銀行や商社を受験した。作ったプログラムを持ち込むと、ほとんどの選考に残れた。学校側も有名企業への合格の期待に指導に熱が入る。そんな緊張からか面接でうまく話ができず、世間慣れした大卒や中途採用の人たちに見劣りしたのか、不採用になった。
 「君はコミュニケーションが上手じゃないから、人と接することの少ない経理方面がいいんじゃないか」。求人票で見つけたエンジニアリング会社を受験すると言うと、学校からそう言われた。少し反抗して、会社のことをよく調べないままそこに入社した。
 業務内容もよく知らない従業員10名強の中小企業。ガラスの溶解炉の温度などを制御するシステムを構築する会社。計測・制御機器の商社の子会社だった。
 汎用コンピューターの仕事が中心で、学んだパソコンのスキルはほとんど使えない。ときにプログラムを作っても付録のような扱いで、会社からは評価をしてもらえなかった。
 制御基盤の配線や動作確認、メンテナンスなど、指示されたことをこなすだけ。顧客の言っていることも、自分がやっていることの意味すらわからない。コンピューター言語にもさわれない。
 専門学校時代の友人と飲みに行ってはお互いの話をした。希望のゲーム業界に進んだ友人は、プログラマーは25歳が寿命だと不安がっていた。将来の見えにくい仕事に徹夜しつづける様子が痛々しかった。
 「2〜3年は社会勉強だよ」。同時期入社の年配の人から励まされて、やりたい仕事があまりできないツラさを胸に押し込んだ。空き時間を見つけては、社内の簡単な業務用プログラムなどをつくって2年間を過ごした。「そうは言ってもやりかったことからはずれているわけじゃない」。そう思った。

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