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本当の京都らしさを味わってもらえる数少ない店。
そこをひとりで任されている責任感と、 さまざまな人との出会いが7年間を支えた。 |
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23歳の若さで、20数年の歴史を持った祇園の京風バー「丸梅」を切り盛りすることになった。たったひとりで夜8時以降の店の運営すべてを取り仕切る。ひとりであることの自由さと、店を任された意地と責任感。「京都らしい」時間をすごすために来店するお客さまの期待を決して裏切らないよう、努力を続けて7年の年月が過ぎた。 竹下しおりさん 30歳 京都市出身・在住 [京風バー『丸梅』女将] |
| 「えっ、前の女将はもう辞めたの?」「24歳! そんなに若くて大丈夫なのー?」。5年ぶりに店に来店された熟年のお客さまから言われた。「へえ、頑張りますよって、よろしゅうたのんます」。カウンター越しに満面の笑みで答える。店を任されてもう7年。それでもしおりさんが店を預かる前にお馴染みだったお客さまがお越しになる。10年ぶり、15年ぶり。そのたびに、「丸梅」の持つ歴史と、それに培われた建物の重みを実感する。 夜の仕事から足を洗おうとしたそのとき、「丸梅」のすばらしさに一目ぼれした。 24歳を目前に控えた、1995年7月。祇園のクラブの先輩から、「丸梅」の責任者をやってみないかと誘われた。2代目の女将が結婚で店を辞めてから約半年、丸梅は閉められたままだった。その間、別の人が店を任されたが2ヵ月と続かなかった。 人さがしを依頼されていた先輩は、「しおりさんなら」と熱心に声をかけてくれた。 昼は和菓子屋での販売の仕事、夜は祇園のクラブで接客の仕事をしていた。19歳のとき偶然に自宅近くのカラオケスナックで働くようになってから4年間、水商売と呼ばれる仕事をしていた。「なんで、こんな仕事に就いているんだろう? やっぱり水商売って流されてしまうのかな?」。そんな気持ちが強くなり、「ちゃんとした仕事」に就くために、和菓子屋もクラブも退職した。高校時代にアルバイトをした歯科医院の受付事務などの仕事をさがすつもりだった。 「夜の仕事はもうやりたくないんです」。一度は断ったが、「お店の雰囲気だけでも見てよ」と再び電話をしてくれる。初めて丸梅に足を踏み入れると一目ぼれしてしまった。「なんて素敵なお店なんだろう!」。 京都に生まれ育ちながら、京都らしいところはどこも知らなかった。お茶屋さんなどに入ったこともない。中学のときは舞妓さんになりたかった。高校時代に甘味喫茶のバイトで和服を着ると、やたらと似合うと言われた。 「ここを切り盛りしてみたい!」。そんな想いがこみ上げた。夜の仕事には変わり ない。しかし「これはちゃんとした仕事なんだ」と思った。「いや、ちゃんとやってみせる」。 お店自体に頼ってお客さまの期待を裏切ってはいけない。できることから始めよう。 丸梅は祇園のお茶屋街のメイン通り、花見小路近くに店を構える「お茶屋風のバー」。置屋やお茶屋が経営する「お茶屋バー」のように、舞妓・芸妓が頻繁に顔見せする店ではない。しかしその内装・たたずまいは京都の歴史と奥深さをしっかりと実感させる。独特の「時間の流れ」を感じさせる雰囲気とリーズナブルな料金で、口コミの静かな人気を呼んでいる。 初代、2代目の女将ともそれ相応の年齢だった。久しぶりに店に顔を出したお馴染みさんは、一様にしおりさんの若さに驚いた。「そんなに若くて大丈夫?」とストレートに聞いてくる。20数年間という歴史が培ってきた店の持つ雰囲気。それさえあれば、壊しさえしなければ大丈夫だと思った。お酒をたしなまれる人の対応についても、それまでの経験で自信があった。 あるとき馴染み客に連れてこられた初めてのお客さまに言われた。「何で京都弁しゃべらないの?」。テレビや雑誌などで舞妓や芸妓が使う「京の女言葉」を見聞きして、それを期待していたお客さま。 「お客さまは、この店に『京都』を感じに来ているんだ。お店自体はその期待に応えられる。でも私自身がそれを裏切ってはいけない」。そう痛感した。 それ以来、多くの人に紹介をもらって、祇園のお茶屋や置屋の女将に話を聞きに行った。京都の言葉、立ち居振る舞い、礼儀作法、しきたり。舞妓や芸妓とも積極的に付き合いをさせてもらうようにした。お茶やお花、着付けなども、本格的にとはいかないけれど、少しずつすこしずつ。 次のページヘ |
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