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5年も苦しんだ過食症を克服させてくれた京北町の仲間。
「地元を離れず、町おこしに役立ちたい」。 その思いで結婚予定の彼との別れを決断した。 |
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幼いころ、いつも友達の輪の中心になって遊んでいたが、中学校でいじめにあい、人と接することがストレスになる。1人でできるスポーツである陸上にのめり込みすぎてしまい、足の故障を機に過食症になった。レクリエーション資格や新しい人との出会いで立ち直り、町おこしのために地元で生きていくことを決断。結婚するつもりでいた彼にも別れを告げた。 谷田由実子さん 30歳 京北町在住在住 [介護福祉士] |
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ストレートな話しぶりからいじめにあい、心を閉ざす。1人陸上に打ち込んだ。 山での探検やゴレンジャーごっこなどをして男の子のように走り回り、近所の友達を引き連れて遊んでいた幼少時代。春には鹿やいのししが現れ、冬には庭にかまくらが作れるほどに雪が積もる。自然豊かな京北町でのびのびと育った。 中学生になっても自分の思うままに発言すると、同級生からいじめられた。しだいに自分の心をのぞかれるのを嫌うようになる。友人と漫才をして再び人の輪の中に入れたが、親友などは欲しいと思わなかった。 高校では、中学で始めた陸上の中長距離走に夢中になる。人里はなれた山奥での4泊5日の過酷な合宿や男子と同じ練習メニュー、朝練や毎日の自主トレも黙々とこなす。近畿大会の決勝に進むまでに成長した姿をみて、めずらしく父がほめてくれた。期待に応えたくていっそう練習に力が入る。 1人の世界に没頭できる陸上にひたすら打ち込み、学校以外で友達と遊ぶこともほとんどなく、「走ることさえできればいい」と思っていた。 石川県の短大に進学。陸上部もないのに1人で練習を続け、県大会にも出た。目標は全国女子駅伝出場。毎日欠かさず20〜30km、時間があればさらに走った。 選手生命を奪われ、過食症に追い詰められる。「死にたい」と思った。 入学して半年後、股関節を故障。思うように走れなくてあせりばかりがつのる。走らなければ太り、タイムが落ちる。しかし、無理をして走っても不安に駆られるだけ。 あるとき、走れないストレスから食べ過ぎてしまい、吐き出すと楽になった。過食症の始まり。生のキャベツまるごと1つ、食パン1斤。普通の人の3〜4食分をときには手づかみで一気に食べ、吐き出す。深夜2時、我慢できなくて街灯のない道をコンビニに走った。罪悪感に襲われるものの、吐くことから得られる一瞬の安堵感には代えられない。 毎日何回もくり返す過食のせいで、体はだるく集中力も散漫になった。授業はサボりがちになり、陸上の練習をする回数も減っていった。 陸上部のコーチになれるという石川県の専門学校に就職。部員の指導は楽しかったが、異動先の方針についていけず1年で退職。過食は相変わらず毎日のように続いている。自分だけがつらい目にあっているものと思い込み、日々「死にたい」とばかり考えて過ごした。 ある日、足の踏み場もないほど散らかった薄暗い部屋で1人座っていたとき「このままではいけない」と思い立つ。本屋へ向かい、資格の本をめくると「レクリエーション指導員資格」という項目が目にとまった。思い切って問い合わせ、指導員の勉強を始める。泊りがけの研修にも参加した。過食が始まって3年が過ぎていた。 参加した研修で奈良に住む男性に出会い、結婚を前提につき合い始める。お互い忙しく、2〜3カ月に一度しか会えない。それでも「自分の身に関わるすべての人々や出来事に感謝しなさい」「前向きに考えていたら何事もうまくいくよ」などの励ましの言葉をよくかけてくれた。 23歳のとき、京北町へ戻り、ホームヘルパーの仕事に就く。簡単には受け入れてくれない利用者のお年寄り。心を開いて体でぶつかっていくと、いつのまにか訪問を楽しみに待ってくれるようになっていた。親子ほど年の離れた同僚たちとのアットホームな職場も助けとなり、自然と過食の症状も軽くなってくる。 京北町にレクリエーション協会を作りたいという思いをいろいろな人に積極的に相談していくと、周りの人が協力してくれて2年足らずで立ち上げることができた。毎年、ウォークラリーや市民参加型のコンサートといったイベントを開く。ところが、自分と同じ20代の若者は一向に参加しようとしない。 次のページヘ |
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