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「やりたい仕事」に就いたと思った。
「現実」は自分の思うようには進まない。 ただ、行動することだけはやめなかった。 |
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大学受験は2年連続で思うようにいかず、大学時代のアルバイトでは、自分はとてもかなわない「すごい学生」に圧倒される。小学生の頃から歴史が好きで、人にモノを伝えることが好きだった。自分の天職を見つけたと思った「塾の講師」の道。頑張っても、金銭面、人間関係、会社の方針など自分の思い通りに進んではくれない。それにもめげず、次の行動を起こしていく。 塚本伴樹さん 29歳 宇治市出身・在住 [癒し太閤ねねの湯(伏見区)サブマネージャー] |
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塾が楽しかった中学時代。勉強づけの高校生活から、東京の大学生活へ。 中学時代、学校の先生が嫌いだった。授業も楽しくなく、生徒の立場に立とうとしているとはどうしても思えない。それに比べて塾の先生は話の進め方がうまかった。塾が終わっても先生の部屋でコーヒーを飲ませてもらい、話を聞いていた。 高校は私立の進学クラス。朝5時半に起きて、往復3時間半の道のりを通う。8時20分から「0時間目」が始まり、ときには補習の「8時間目」を受けて、家に着くのは夜の8時。そこから宿題にかかり、土日にも束のような課題を渡された。休みは盆と正月だけ。テレビも見ず、ラジオもほとんど聞かない日々を過ごした。 そこまで集中していた大学受験に失敗。浪人することが決まったとき、「来年に、もっといい大学に合格するからいいや」くらいにしか考えなかったが、一浪して受かったのは「すべりどめのすべりどめ」のはずだった一校のみだった。 いろいろなタイプの人たちとの「出会い」が新鮮な大学生活。歴史サークルに入って仲間と全国各地を旅したり、さまざまな専門書を読んで得た知識から刺激を受けたりと充実していた。 大手新聞社でのアルバイト。1分1秒単位で怒声が飛び交う中、編集局での原稿の整理や論説委員室の電話番など、ときには深夜2時まで働く。自分が入学できなかった超有名大学のアルバイト仲間。ただ頭が良いだけでなく、社員の人の机の上をさりげなく整理するような「気配り」が自然にできる。「自分には到底、こんなふうに仕事はできない」。塚本さんはショックを受けた。 やりたい仕事を見つけた。しかし、会社の経営方針の変化に振り回される。 大学ではゼミ長を経験した。「こういう言い方をすれば聞く側にとって分かりやすいのでは?」と話の組み立てを考えるのが好きだったし、得意だと感じていた。「歴史が好きだし、中学のときの塾長の授業の進め方が好きだったなー」。「塾の講師」を心に決めて就職活動を始め、東京本社の株式上場を目指す会社から無事内定をとった。新入社員の仕事は電話による生徒勧誘。予想外の仕事を1年間乗り切って、教室運営にかかわれるときが来た。 配属先の長野は、乗りたい電車が1時間に1本だったり、買い物や遊ぶ場所も少ない。狭い事務所でたった3人の職員と顔を合わせるだけの毎日。社宅なのに家賃を全額自分で支払い、学生アルバイトとのコミュニケーションを深めるために、自腹を切っておごったりして、お金は手元にほとんど残らない。教室長と意見もよく食い違い、生徒と塚本さんがじっくり話し合って決めたことでも、後から簡単にひっくり返されたりした。 2年目からは偶然にも歴史と国語の講師も担当することになり、ようやく人にモノを教える仕事に就く。教室長にはめげずに自分の意見をぶつけ続けたが、相変わらずの反応。それでも、土日も深夜もオリジナルのテキストを作ったりして充実していた。そんなとき経営者が変わる。 売上至上主義の新しい経営者。生徒が教室を早くやめてしまうので、受験時期の早い推薦入試は原則として受けさせてはならない、という方針まで現場におりてきた。反対する人は辞めさせられていく。あるとき、10歳年上の教室長でさえ信じられないような低い給料で働いていることを知った。今の自分には貯金もないし車もない。このままの働き方で、将来どうなっていくんだろう…。そんなとき、父親の病気が再発。京都へ戻ることを決断した。 京都へ帰る特急列車の中はスキー帰りの客ばかり。にぎやかな列車の中で、「姥捨て山」に夕日が沈んでいくのを眺めた。「終わった…」。ただ、そう思った。 次のページヘ |
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